20080607研究会報告 マックス・ヴェーバーにおける歴史学と社会学        折原 浩

 

はじめに――問題の所在、本報告の趣旨

近年の大学改革における歴史学と社会学との制度的分断傾向。ところが、奈良女子大では、双方が文学部内にあって大学院「比較歴史社会学コース」を構成。分断の大勢に抗する「比較歴史社会学」の学問論-方法論上の根拠が、どのように自覚され、研究実践に活かされているか。

社会学一般についてみると、分断を受け入れる素地が目立つ。歴史と予見を忘れた社会学。敗戦後、アメリカ社会学の圧倒的影響のもとに近視眼的「現状科学」せいぜい「法則科学」として一人歩き。

この現状への対抗契機: 社会学祖オーギュスト・コントは「予見せんがために見る」という課題設定のもとに「歴史における三状態の継起」を説く(なお「法則科学」)。② 20世紀をふりかえると、未来予知にかけても、初めの15しか生きていないヴェーバーを越える社会学者は、ついに出なかったのではないか。かれは、「西欧とくにドイツの歴史的運命」に思いを凝らすなかで、広く普遍史的「比較歴史社会学」の対象とした全範囲にわたり (欧米はもとより、ロシア、中国、インドについても) 的確に未来を予知。その諸例: 近代資本主義の帝国主義への転態、全般的官僚制化 (「鉄の殻」) のもとに「精神なき専門人」「心情なき享楽人」の輩出-跋扈; ソヴェート社会主義の崩壊 (「プロレタリアート独裁」の官僚独裁への転化、国家官僚制機構における経済計算の形式合理性の低下、勤労意欲の減衰、文化の衰退);「農村から都市を包囲する」毛沢東型革命; カースト間・種族間の敵意再燃 (印パ紛争); とりわけ祖国ドイツの将来については、(近年の雀部幸隆氏の研究によると) ナチズムのような独裁勢力の台頭を予想し、帝政崩壊後の「リザーヴの権力」として「人民投票にもとづく大統領制」を構想 (これを「ナチズムへの露払い」とする説は、いわば「親の心 子知らず」)。われわれとしても、「国家百年の計」に資する、歴史的視座に立つ未来予知を、歴史-社会科学本来の課題と見て、挑戦できないものか。そのためには、何が必要か。

この問いに答える手掛かりを、さしあたり先人ヴェーバーに求めるとして: まず、かれは社会学者であったのか。むしろ、かれにおいては、歴史学と社会学とが、方法 () 上、相互に媒介され合い、さればこそ、社会の始源状態を起点に、社会諸形象の発生から、各文化圏に固有の持続的互酬-循環構造の成立と展開が解明されていき、その延長線上に未来も予知されたのではないか。では、どういう相互媒介か。☞拙著『マックス・ヴェーバーにとって社会学とは何か――歴史研究への基礎的予備学』2007、勁草書房)

今回の報告では、そうしたヴェーバー社会学――『科学論集』における方法論的基礎づけのうえに、『経済と社会』「旧稿」で体系的構想が示され、「世界宗教の経済倫理」シリーズ (「儒教と道教」、「ヒンドゥー教と仏教」「古代ユダヤ教」まで発表) で比較史的に展開され始めたヴェーバー社会学――を、「歴史研究への基礎的予備学」と見て、アジア史とくに日本史に適用すると、どんな視界が開けるか、というふうに問題を立て、水林彪著『天皇制史論』(2006、岩波書店) に展開された水林史学との対質にかぎって、多少とも具体的に展開してみたい。その意味で、歴史学と社会学との (ヴェーバー研究の側からは基礎論と応用研究との) 相互交流に、社会学(ヴェーバー基礎論)の側から一歩を踏み出そうとするものである。

 

1. 未来予知の方法的基礎――ヴェーバーの科学方法論における社会学と歴史学との相互媒介

ヴェーバーの歴史・社会科学は、「予備研究-特性把握-因果帰属-未来予知」の四階梯からなる。それは通例、対象の個性的特性を、同じく個性的な条件に因果帰属しようとする「個性化的」文化科学・歴史科学・現実科学と規定される。しかし、客観的な特性把握と因果帰属のためには、類例比較によって問題の特性を(まさに他にはない客観的特性=普遍的諸要素の個性的「布置連関」として)確認し、因果帰属に欠かせない「法則的知識」も定式化しておく予備研究= 社会学が必要とされる。歴史的に発生したある社会形象(たとえば「カースト秩序」)特性を、普遍的な諸要素 (種族、身分、世襲カリスマ、ライトゥルギー、祭司門閥、救済論、神義論など)個性的布置連関Konstellation [星座]」として捉え、その持続的互酬-循環構造を突き止めておけば、現状における諸条件の布置連関を媒介に、未来予知が可能となる。そのため、普遍的な諸要素の類-類型概念 (たとえば、「カリスマ」と「世襲カリスマ」、「身分」と「カースト=宗教儀礼的に規制され、閉鎖された出生身分」) を構成し、決疑論に編成して、「道具箱」に整えたのが、『経済と社会』「旧稿」。そういう類-類型概念を総動員して、各文化圏 (中国、インド、日本、……) 固有の社会形象 (中国の「家産官僚制」、インドの「カースト制」、日本の「門閥国家」「封建制」) それぞれの個性的な布置連関を発生的に捉え、互酬-循環構造を突き止めようとするのが、「世界宗教の経済倫理」シリーズ。

2.『経済と社会』「旧稿」の類-類型概念 (類概念と類的理念型) (一覧) 別紙資料1,2

3.「ヴェーバー史観」の積極的定式化――「唯物史観」との対質

原理論的基本方針 別紙資料3

②「始源状態-メンナーハウス-門閥国家-封建制-家産官僚制-近代官僚制」――社会(支配)関係の発展階梯にかんする理念型再構成の試み ☞別紙資料4

世襲カリスマ的「氏族手工業」から「ライトゥルギー手工業」「村落隷民手工業」を経て、片や「カースト形成」へ、片や「自由な都市市場」へ――手工業の発展階梯にかんする理念型再構成の試み 別紙資料5

4.「ヴェーバー史観」から見た日本――普遍史的パースペクティーフにおける日本史の特性と位置づけ

5.「ヴェーバー史観」と水林史学                                                    別紙資料6

   A.「支配の正当性」論の的確な応用。残された二論点: ①年少の子に皇位を譲り、上皇が実権を握る形式 (プーチン-メドベージェフ体制は、非血縁的「機能的等価物」?)。「正当化」様式のそうした特性の歴史的形成は、いかに説明されるか。②「君主制」一般の「政治的機能」として、最高位がともかくも塞がれることにより、「政治家たちの権力欲が形式的に制限され」、「力の経済Kräfte-ökonomie(アメリカ大統領選挙の「空騒ぎ」?) が生ずる、という観点を、日本天皇制に適用すると、どうか。

   B. 水林史観の諸問題――「ヴェーバー史観」との対質から ☞別紙資料7

     血縁組織と軍制との歴史的相互制約関係: 「妻と未婚の子供、そして夫」という家族形態は、「メンナーハウス」に随伴する「母子集団」の遺制か。

     「律令天皇制」への移行における「外生的」要因と「内生的」要因との関連: Ⅱ型とはいえ、「強制された (迫られた、余儀なくされた) が、欲したのだ」という側面は残る。とすると、白村江戦 (66871) の大敗から9世紀初頭の軍制改革にいたる「空白」は、いかに説明されるか ?

     「唯物論」的図式の問題: 経済的「基礎過程」における生産力発展が、社会的分業の進展 (分業主体間の) 商品交換として現れ、「動産商品化」から「土地商品化」を経て「労働力商品化」にいたる、という「一元論」的「法則科学」的人類史把握。中国では、春秋と戦国の境目に「動産ばかりか土地までもが(水林著: 31 et passim) 商品化され始め、宋代には「成熟期土地商品化社会」に入り、「共同体」から「析出」された諸個人を「直接」統括する「制度的領域国家体制」の「一君万民支配」が確立するのに、その間あるいはそれ以降にも、「労働力の商品化」は緒につかなかったのか、そうとすればそれはなぜか。宋代以降「欧米諸列強の侵略にあうまで、そのような [成熟期土地商品化] 社会として比較的に安定する」( 33) といわれる、その「安定」とはなにか。

石母田正説の引用ながら、「手工業の農業からの分離商品流通の展開」「『アジア的共同体』の高度な分解(49)、「手工業者のカースト的緊縛の部分的解体(58) について肯定的に語られるさい、一方では「カースト形成」にいたる手工業の多様な展開と(宗教性を含む) 社会的媒介関係が、看過されてはいないか。「天」「帝釈天 (インドラ)」「ゼウス」を「超越者」一般に括ってよいか。